Training Journal:クリティカルエッセイ'89「科学とスポーツ」を再掲
その日(11月12日)は、大学を休んで東京医科歯科大学へいっ た。日本ME学会の秋期大会が開かれていたからだ。MEとは MedicalとEngineeringのことである。まあ、医療機器の開発に 関係する学会だと思っていただければ良いだろう。午前中のシ ンポジウムのテーマが、無拘束計測。心電図や血圧などを病院 外で24時間計測するための方法と問題点についての発表が行わ れた。医科歯科大医用研の豊島健氏による無拘束身体活動度計 測という発表が、私の目的であった。
日常動作や身体活動時のエネルギー消費量を求めるためには、 その時間内に行われた運動や動作の強度を知らなければならな い。古くは、各個人の特定の一日の行動様式を記録して、それ ぞれの運動・動作に対するエネルギー代謝率(RMR)の標準 値を基に、逐一計算するという手法が用いられていた。このよ うな方法をタイムスタディーというが、何かするたびに内容と その時間をいちいち記録用紙に記入するというのはいかにも面 倒である。ちょっとした動作なら書かずに済ましてしまおうと 思うかも知れないし、時間の記入が不正確になるかも知れない。 記録を強いるというのはある意味での拘束に相当する。被検者 の動作をなるべく妨げないで、テープレコーダーなどに活動量 を記録できれば、より正確な評価ができるのではないかと思わ れる。
こんな願いに応えたのが、ヴァインである。ヴァインという のは会社の名前で、正式には半導体メモリー方式心拍記録計と いう。これができたのはかれこれ10年近く前の事であろうか。 最初にみたときは驚いた。何しろ、心拍数が24時間以上も連続 して計測できて、しかもその1分毎の値がものの数分で打ち出 されるのである。心拍数は運動強度の指標として広く認められ ている。また、酸素摂取量ともほぼ比例するといわれる。した がって、予め心拍数と酸素摂取量との関係を調べておけば、一 日の間のエネルギー消費量も求まるのではないか。そんな安易 な発想がすぐに生まれてしまうのである。
しかし、どうも目に見えなければ不安だ、心拍を数え落とし たり二重に数えたりすることもあるのではないか。このような 不安を払拭できないでいるうちに、もっとすごいのが現われた。 その名は、「ホルター心電計」。これは、カセットテープを利 用して、24時間以上連続して心電図波形を記録するものである。 正確には「ホルターレコーダー」という商品名に由来するので あるが、その後各社が競って販売した類似商品を総称して、こ のように呼ばれている。
これはスグレものだ。何しろ、24時間の心拍数のみならず、 心電図異常の数やその波形がすべて監視できるのである。もと もと医療用だけに、その種類の豊富さもさる事ながら、性能の 向上も著しい。私の勤務する早稲田大学スポーツ科学科には、 記録計が8台あるのだが、今年購入した4台は、昨年のものより も計量小型になっていた。もちろん、医療用に使っているので はなく、心拍数の記録から運動強度を評価するために使ってい るのである。
このホルター心電計を使っているのは、村岡功助教授(運動 生理学)なのであるが、最近、心拍数と酸素摂取量との関係を 見直すための実験を始めた。心拍数が高いほどエネルギー消費 量が高くなるというのは運動中の結果であって、日常動作のエ ネルギー消費量は心拍数だけからでは正確には評価できない。 そこで、睡眠中、臥位、座位、立位、歩行、ジョギングなどの エネルギー消費量を再評価して、心拍数との関連を探ろうとし ているのである。ホルター心電計がいかにスグレものだとはいっ ても、結局は、心拍数だけからのエネルギー消費量の推定には 多くの問題があって、現状では無理なのだ。タイムスタディー の方がまだましかも知れない。なんと、話が振り出しに戻って しまった。
ところで、先の豊島氏の発表は、このようなわれわれの発想 とは観点が異なる。鉛直と水平とを区別する特別の角度スイッ チを、体幹と大腿とに装着すれば、両者の関係から臥位、座位、 立位のいずれであるかを判別でき、これに腰部の加速度と心拍 数との記録を加えれば、身体活動度を評価できるのではないか というのである。エネルギー消費量を無拘束的に監視しようと いうのは、もともとは動作の記録が面倒で不正確だというとこ ろからきている要望であるから、体位を記録できれば、その主 旨のほとんどを達成したことになる。また、歩行や走行などで は、身体運動の加速度が大きくなれば、エネルギーの消費量も 高くなるだろうというのもうなづける。ただし、これだけでは 荷物を持ち上げるような動作は評価できないので、強度の高い 運動については、心拍数で評価しようというのである。市販の ホルター心電計を改良して作製した記録装置が展示されていた が、なかなか良くできていた。
何か知りたいものがあったときに、それを知るためにはどう したら良いかということを考えるのは大切なことだと思う。そ して、それを実現できたら立派だと思う。もちろん、それが医 療器具で、実現のための需要も高ければ、開発も容易であるか もしれない。医療器具の多くは、臨床現場での要望に応じて開 発されている。しかし、どうもスポーツ科学の世界では、その ような装置を実現しようという意欲よりも、医療器具のおこぼ れを待っているという態度があるようにも思える。ホルター心 電計は、病院外での心電図を監視したいという臨床医の需要に 応えたものなのであろうが、スポーツ科学では、これを心拍の 記録に利用しているだけなのである。
エネルギー消費量を監視したいのであれば、酸素摂取量を直 接計測すれば良さそうなものである。心拍数でごまかそうとす るから後で困るのである。先の展示会場には、無拘束酸素摂取 量計測装置が展示されていたが、残念ながらこちらの方は実用 にはほど遠かった。ひねた考えをすれば、酸素摂取量の計測自 体には医療上の需要がないから、企業の開発意欲も盛り上がら ないといえるかもしれない。そこで、現在のスポーツ科学は医 療用心電計に頼ることとなる。でも、開発されたものがなけれ ばスポーツ科学の研究ができないというのは、なんとなく寂し い。本当に必要ならば作ってしまえば良いのだ。ただ、意欲が あっても作れないというのがなお悲しい。
折しも、アメリカの医学誌のThe Physician and Sportsmedicine誌6月号の「ペドメーターを超えて」という記 事に目が止まる。身体活動量のモニターの手法として最も古い のは、レオナルド・ダビンチの発案による漫歩計だが、技術の 進歩とともに加速度計、心電計などが用いられるようになり、 重水素法などが提案されることもあったしかし、結局どんな方 法も批判の的にさらされている、というもの。長い研究の道の りも、15世紀の遺産を越えるところまでには至っていないとい うわけだ。
ところで、この連載を依頼されるに当たって、河辺さんは、 「いままで話していたようなことを書いてくれれば」と、言っ た。そういえばこの前の話題は「アグネス論争を読む(JICC出 版局)」であった。子ども連れで仕事にいったアグネスチャン に対する週刊誌の反響に対する中野翠と林真理子のエッセイを 核として大きな論議が沸き起こり、いつのまにか、「職場に子 どもをつれていくのは是か否か」という論争に発展していった のだった。上野千鶴子や若桑みどり、長崎暢子といった大学教 授による朝日新聞への投稿(論壇)も、事の盛り上がりに勢い を与えた。河辺さんとの会話の中で、スポーツ科学の世界には、 こういった論争は生まれにくいのではないか、というのがあっ た。私は、こういう論争が科学的方法の原点だと思うし、学術 誌への投稿も新聞への投稿も同様の動機で行われるべきものだ と思う。そして、この論争を通じて興味深く思ったのは、サン デー毎日の「電気じかけのペーハームーン」とか週間文春の 「今夜も思いだし笑い」といった、中野翠と林真理子が担当し ているそれぞれのコラムそのものの存在である。毎週、何か話 題を見つけては感想を述べていく。そんな場があるからこそ、 自由な主張と議論が生まれる。それも、タイムリーに。ここも、 そういう場になればいいなと思う。物事を批評するには私は能 力不足だし、批判というほどの内容でもないが、私の感想には 批判的な色合いが強いので、「なんとなくクリティカル」なん ていう雰囲気になったら面白いなあ、なんてことを考えるので ある。