科学と現場:ギャップは埋められるか

Training Journal:クリティカルエッセイ'89「科学とスポーツ」を再掲 (89年 6月号)


 私の友人のK君は、最近ゴルフを始めた。といっても、打ちっ ぱなしの練習場に2,3度行ったことがあるだけで、まだまだ本 格的とはいえない。「体育の先生だから、レッスンは受けずに 自分で上達法を模索する」とのことだから、そう簡単に本格的 になるはずがない。

 そんな彼も、私と同様にスポーツ科学の研究者であるから、 自己流の練習といっても普通の人とは、ちょっと違う。練習場 へは必ずビデオカメラを携帯するのだそうだ。いろいろな角度 から撮影したフォームをその場で再生して、バイオメカニクス の観点から動作を分析するらしい。当然の事ながら、「左手の 親指にパワーの秘密がある」とか、「右足内側へ体重を流し込 めば、体重の移動はスムーズ」などといった、一般のゴルフ指 導書にかかれているような通俗な言葉は、彼には通用しないの だ。第一、「体重を流し込む」などという表現は、学術書の中 には見つけられないのである。

 ところで、「バイオメカニクス」というのは、スポーツ科学 に関係する学問分野の一つで、「生理学・解剖学などによる生 体そのものの解明と、生体の運動現象の力学的解析とを合体し たひとつの応用科学である」(注:金子公宥著、「スポーツ・ バイオメカニクス入門」、杏林書院、p.1)といわれる。スポー ツの動作を力学的に分析することによって、パフォーマンスを 向上させる要因を見つけようとしたり、効果的な指導法を探索 したりするのが、その目的の一つである。ビデオカメラによる 解析も、バイオメカニクスの常とう手段なのである。例えば、 一コマ毎のクラブヘッドの位置の変化を追跡すれば、インパク トにいたるまでの速度変化がわかるし、クラブの動きとボール の方向との関係も調べることができる。また、ボールスピード を最大にするような動作を探索することもできるかも知れない。 もちろん、彼は、解析装置を練習場に持ち込んでいるわけでは ないので、再生画面をじっとみて、科学者としての長年の経験 に基づいて自分の動作を分析するだけなのであるが、それでも 役に立つことには違いはない。

 ある時彼が、「ビデオをみているとどこが悪かったかという ことが良くわかるね」と、呟いた。ボールが飛んだ方向とその 時の動作を良くみることによって、ミスショットの原因がわか るのだそうである。すかさず私は、「それはまだ技術レベルが 低いからだよ」と、反撃を浴びせた。始めたばかりの初心者が 左へ大きくスライスしてOBとなる場合とフェアウェイに残っ た場合の違いくらいならば、スイング動作のビデオ画像からわ かるかも知れない。しかし、プロゴルファーがピンそば3mに寄 る場合と、グリーンをはずしてバンカーにつかまる場合とを、 ビデオのフォームから区別するのはかなり難しい。ましてや、 ホールインワンとピンそば1mの違いともなれば、フォームはお ろかボールの飛んだ方向を見た後でも予測は到底不可能であろ う。

 そこまで言ったところで、勘の鋭い彼はピンときたらしい。 「そういえば、スキーのターンで力のいれ方をちょっとミスし ても、ビデオをみる限りは違いはわからないだろうな」と言う。 「100m走のレースでも、一歩一歩の蹴り方は微妙に違っていて、 全部をうまくいったと感じたことは一度もなかったけれど、そ んな違いなんか外から見たってわかるはずがない」とも言った。 ちなみに彼は、雪国出身の元インターハイ短距離選手で、スキー の腕もかなりのものなのである。うまくなればなるほど微妙な 違いが大きく影響するようになり、その違いは外からはわかり にくくなるというのが、その時のわれわれ二人の結論であった。

 もちろん、経験豊富なコーチがみれば、ほんのわずかな違い も見つけられるかも知れない。そして、ほんのちょっとしたフォー ムの修正で、見違えるような成果が生まれるかも知れない。こ んな時、コーチの培ってきた勘の大切さを思い知らされる。い くらビデオの画像を科学的に分析したところで、スポーツを知 らない科学者からは、効果的な指導法が生まれるはずがないの である。逆に言えば、実践に役立つ研究結果を生む可能性を持っ ているのは、優秀なコーチの資質を備えた科学者だといえるだ ろう。

 最近、「スポーツの科学と現場のギャップを埋めよう」とい う、研究者側からのかけ声を聞くことが多い。そのためには、 コーチが科学の成果を勉強して、科学者はスポーツの現場に飛 び込んでいく必要があるのだそうだ。でも、そのような表現の 中には科学者側の優越感が多分に感じられる。実は、そのよう な優越感こそギャップを生じさせる要因なのではあるまいか。 大切なのは、コーチが科学を理解する事なのではなくて、科学 者がコーチの経験や勘を修得することだというのが、今回の私 の主張である。科学者の劣等感からスタートしてみてはいかが だろうか。


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