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「楽」の帳尻

ところで、私は少々うがった見方をしているようである。だい たい、発行される論文総数が増えたからといって、そのほとん どに·目を通さなければならないとか、たくさんの文献を引 用した上で論議を展開しなければ学術誌に(掲載を)·受け 入れてもらえない、などと合点するのは早計なのである。 洪水のように氾濫する論文の中から所望のものを選りすぐるた めにこそ「検索ツール」が開発されているわけで、そこから厳 選された論文をじっくりと読んで研究を企画して立派な結果を 出せば、自ずと「立派な論文」が書けるはずなのである。した がって、「他者からの引用が多いこと」というのはその「立派 な論文」を構成する必須要件ではなく、当然、洪水のような論 文を「読まねばならない」なんていうことはありえない、と考 えるのが自然であろう。もとより、学者の業績というのは、そ のオリジナリティ(独自性)にあるわけだから、他人の業績の 引用が全くなくても論文が書けるはずなのであるgif。でも、今の私にはそんなのどかな「学問の 理想」は信じることができないのだ。洪水のような論文を総覧 して湧水のように引用し、十分な論議を尽くした上で8ページ 以上の論文を書かなければ学術誌に掲載してもらえない、と信 じているのは私だけではあるまい。

どうしてこうなっているのかということを断じる証拠は何も持 ち合わせていないが、図1(刊行論文数)、図2(論文ページ 数)の年次増加を見ていて直感できるのは、1980年代から普及 したワードプロセッサが「論文数量の増加」に貢献したという ことである。つまり、ワードプロセッサの普及によって、論文 の執筆は極めて容易になった。もちろん、「執筆」前に必要と される研究立案とかデータ取得に関してはワープロの普及とな 無関係であるが、草稿を修正する度にタイプを打ち直すという 手間がいらなくなったのだから、1980年代からの論文執筆は、 それ以前と比べて画期的に容易になったのである。でも、容易 になった分だけ「たくさん論文を書かなければ…」というイン センティブは高まったに違いない。

同様のことは「文献検索」にもいえるだろう。1990年代に普及 した電子文献データベースは、「文献の取得」を一見容易にし たgif。しかし、その「容易な 文献取得」は、「読まなければならない文献」を机上に堆積さ せ、それを講読することを脅迫する。かくして、「読んだ証」 としての引用文献数は、放置すれば今後も増えることが予想さ れるのであるgif

ワープロにしても文献データベースにしても、「簡単になって 便利になった」ということだけを強調しすぎると、「みんなが やっているのだからできて当然」という潜在的含蓄を見逃すこ とがある。どう考えても、「楽して学者を続けていこう」なん てことが許されるはずはないのだ。

あぁっ~!…… 続きは次号。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999