さて、この連載も今回で最終回を迎えた。2年近くにも及んだ この連載を通じて私が訴えたかったのは、まさにこの<依存> という問題である。連載が始まった1997年4月は、在外研究も 折り返しを過ぎて実験結果のとりまとめを開始した時期でもあっ た。もちろん、ジョージア大学で携わった実験は私にとっては 在外研究を彩る一つのイベントに過ぎず、日本の研究仲間や学 生たちと電子メールを介した交流も相変わらず続けられていた。 当時の私が電子メールに取り組む時間は一日平均1時間を超え、 コンピュータに向かう研究時間の半分以上は日本語での作業に 割り当てられていたのだ。もちろん、この<インターネット> 原稿の執筆・送付も、そのような「日本語業務」の一つであっ た。
そんな中、第4章(97年7月号)の「電子メール」の原稿執筆の ために「電子メール使用状況アンケート」を行った。5月1日に 83名に同時送付した電子メールは即座に返信回答され、その解 析結果を含めた原稿を5月末までに提出することができた。その 詳細は第4章にゆずるとして、そこで私が下した結論は、以下 のようなものである。
ということは、現在積極派である私は、この先ますます電子 メールの処理に時間を費やす宿命にあるのだろうか。私にとっ て、電子メールを書き、読み、返事を書くことに費やす時間の 多さは、そろそろ限界だった。
でも、いったいどうして、私たちはこんなにしてまで多数の相 手と多量のメールのやりとりをしなければならないのだろうか。 もちろん、メールだけに限らない。コピー機の普及によって私 たちが読むことのできる文献の数は飛躍的に増え、ワープロの 普及によって書くことのできる論文数が増え、文献データベー スの普及によって見つけることのできる文献数が驚異的に増大 した。どうして他の人々は、これを脅威だと感じないのだろう か。私は、そのような情報伝搬速度の増大が恐い。
たまたま先日、大学院生から次のような話を聞いた。
「昨日、近赤外線分光法の研究会に行って来たんですけど、 ものすごくたくさんの発表があって、私がやろうとしていた 研究もずいぶんと手がけれられていたんです。だから、我々 も急いで実験してデータをまとめないといけないなと思いま した。」
もちろん、当の学生は、自分の手掛けた研究が多くの人の興味 となっていることに喜びを感じるとともに、探求心を鼓舞され たというプラスのイメージで私に報告したわけであるが、私は 次のように返答してしまった。
「なんでまた、そんなに急がなくちゃならないの。自分がや らなくても他の人が調べてくれるんならそんな楽なことは ないし、やらないほうがいいんじゃない。」
もちろん、せっかくやる気になっている学生に水を差すような 回答は、教員としては慎まなければならないのだけれども、ど うしても言いたくなってしまったのだ。それに対する学生の反 応は、「先生はいいですよ…。でも私たちはそれで論文を書か なければならないのですから。」というものであった。
良くわかる。良くわかるんだけれども、やっぱりどこか腑に落 ちない。いったい私たちは純粋な探求心だけで研究を行ってい るのだろうか。それとも、自己の業績を認めてもらいたいとい う純粋な功名心こそが研究の原動力なのだろうか。<インター ネット>という魅力的方法論によって多量の情報をすばやく処 理できるというのは、確かに「探求心」を満足させるためにも 朗報ではあるが、「功名心」に動機づけられる研究の推進にこ そ欠かせないものであると言えよう。私たちの科学研究は、 「より早く、より多く」という情報処理の手法を推進するよう な構造の中で進められてきた。でも、いったいどうしてそのよ うな競争の渦中に自らを投じるように仕向けられなければなら ないのだろう。これが、私がこの連載を継続しながら保持して きた背景心理であった。
でも、私たちはまだいい。それを<生活の糧>として自ら好ん でやっているからだ。しかし、一般の人々すべてが我々と同様 に<競争心>に満ちているのだろうか。もしかしたら、各自の 意志とは無関係に、あるいは知らず知らずのうちに、<インター ネットの世界>へ引きずり込まれることを強いられているので はないだろうか。もしかしたら、多量の情報を迅速に処理でき る人々の群が、それを「絶対的善」として吹聴し、「全ての人々 にとって福音となる」と吹聴しているだけなのではないだろう か。