そのとき、私は思わず声を上げてしまった。スプールから引 き出された電子メール(以下、メール)の数が、100通を超え ていたのだ。
それは、1995年の10月3日のことだった。2週間に及ぶ海外
出張から戻ってきた私
を待っていたのは、20センチ
近くに積み上げられた郵便・書類の山と150通ほどのメール
だった。そのメールを
スプールから引き出しているとき、私はコンピュータが止まっ
てしまったのではないかと錯覚するほどであった。たぶん、1
分程度だったと思う。でも、それは5分以上に感じられた。
一瞬呆然とした私は、気を取り直してメールを読み始める。
というよりも、その対処の仕方を1分ほど考えた。まずは、リ
ストを一覧し、「コンピュータ管理」に関するメールのうち、
大学の本部システムに関する50通ほどを削除する
。
これに5分ほどかかった。ここで一服してコーヒーを飲みなが
ら、いよいよメールを読みにかかる。まず最初は、学部内のコ
ンピュータ業務である。「絶対に返事は書かないぞ!」と心に
誓いながら、どんどんと読んでいく。32件のメールを読むのに
20分ほどかかった。
さて、ここからが本番だ。いったんメールのソフトを閉じて、
処理済みのメールをリストからはずして、再度リストを見る。
発信元の主なグループとしては、「wwwメーリングリスト」
(計27件)と、「ペダリング動作
解析グループ」
のメール
のやりとり(計30件)だ。しかし、これらのグループを一括し
て片づけるには時間がかかりそうだし、内容の緊急性も見出し
からは感じられなかったので、その他のメールの中から大切そ
うなものを選んで読む。そのうちの一つは、私が出発直前にあ
る重要人物に対して発送したメールに対する返答で、緊急とい
うわけではないが、即日回答されたメールの返信が2週間もこ
ないことをいぶかっているのではないかと案じて、「遅延の言
い訳」とともに急いで返信する。発信時刻は11:33だった。次
ぎに、学生からの3通の「相談メール」に返信する。それぞれ、
11:40, 11:53, 12:13となっている。もちろん、この間に他の
メールを対処した可能性も無いわけではないが、たぶん、発信
者のグループ毎に対処していったという記憶があるので、おそ
らく、それぞれを「読んで返信する」のに、7分, 13分, 20分
を要していたのではないかと想像できる。
昼食をはさんでさらに残りのグループの「メール読み」を続 ける。結局、2時頃までかかったのだろうか。その日は本部 (東京)での夕方の授業のために3時前には所沢をでなくては ならなかったので、返事を書き始めて長くなるといけないと思 い、中断した。空いた時間は、本物の「郵便」を開封したり滞 留した書類に目を通したりしていたが、このときほど、メール に時間を費やしたことを実感したことは、それまでにはなかっ た。
最終的には、wwwのグループのメールに返信したのが翌日の 12:18。なんと、留守中のメールへの対処が完了するまでに1 日半を費やしたことになる。当然、出張報告や郵便あるいは事 務書類の処理といった、これまで同様の「帰国処理」も従来通 りあって、最終的に「日常」に戻った気がしたのは、その直後 の体育学会(前橋)が終わった後だった。