だいたい、我々は電子メールの送受にいったいどれだけ時間
をかけているのだろうか。先に述べたように、95年10月の帰国
時の処理に関しては、読まずに削除した分まで含めて150通あ
まりのメールの「対処」に要した時間は、実質4時間あまり。
このうち、50通ほどの「削除」に5分(すなわち、1件あたり
約6秒)、6件の返信に約60分(一件あたり約10分)、残りの3時間が100件の「メール読み」
である(1件あたり約2分)。
もちろん、上記は私の少数特殊例からの概算であって、実際
の所、1件あたりのメールのやりとりに要する時間はその分量
に比例する。単なる1行だけのメールの受信であれば一瞥で済
むかもしれないが、数十行にわたるメールは、読み飛ばさない
限り5分以内では終わらないことだろう。送信の場合も単なる
1行だけのacknowlegementの返信であれば1分以内で済むかもしれないが、
数行の文章を付けるだけで5分程度かかる場合も多い。実際の
所、95年10月3日の昼前に学生に出した3通の返信は、たいした
内容ではないが、1件あたり平均10分消耗していた。「電子メー
ルは早く速くて便利」というのは我々の信仰であるが、郵便や
ファクスに対するその情報電送の速さの向上率に比して、文書
の読み書きの速さの向上はさほどでもない。つまり、メールの
送受信数が増えれば所要時間が増大するであろうことは、容易
に予想されるのである。
ところで、上記の事例の中にはとても大切な含蓄があること にお気づきだろうか。つまり、その150通、4時間に及ぶメー ルの処理には「受信」と「返信」はあるが、純粋に私から書き 始めた「発信」が無いのである。もちろん、「受信」に忙しい ときに新たに「発信」しようという気が起こらないのは当然で あるが、この数年の私の履歴を振り返ってみても、オリジナル な「発信」の割合は相当少ないような気がする。過去のメール を掘り返して調べなおすことが困難なため定かではないが、当 時の私の「受信:返信:発信」の比は、おそらく10:2:1程度だっ たのではないかと見積もられる。
では、その「受信」したメールの発信元はいったい誰なので
あろうか。それは、私か相手先かのいづれかである。もともと、
電子メールは1対1の通信ではなく、1通の発信で100人に配
信することもできるから、郵便の場合と違って「発信および返
信(以下、送信)」と「受信」の総数が一致するわけではない。
したがって、「受信総数」と「送信総数」の比は、1件あたり
の平均の同時送信者数となる。ま
た、「返信総数」と「発信総数」との比は、1通の「発信」が
その後相手との間で何往復したかという「発信の残響(エコー)
回数」の平均となる。私の場合、おそらく「平均同時送信者数」
が3人程度であり、1回の発信に対してだいたい2往復程度の返
信があると見積もられたというわけである。
いや、それにしても、郵便の手紙だったら、とてもそんな
「同時送信」や「返信のやりとり」はできないことであろう。
これは確かに「便利」なことだと言える。しかし、それはその
必要がある人にとっての話なのであり、その必要が無い人にとっ
て本当に「便利」というだけで済むのかどうかは疑わしい
。
もちろん、インターネット時代においては、メールの必要が無
い研究者はおそらくほとんどいなくなるのであろう。しかし、
その時全ての研究者が負担する時間の総数に対して、電子メー
ルの恩恵による研究業績の増大は、従来の「業績/時間」比を
上回るのであろうか。