でもまだ気になる。こうやって書いて、ジョージアでは印刷で きないからといって、じつのところ所沢には出力できるのだ。 それを、なんでまたわざわざ東大に送るのだろうか。というこ とに、たった今、この文を書きながら気づいた。よくよく考え ると、早稲田の所沢に出力できるのであれば、なにもわざわざ そこから電子メールで東大に送付してからFaxしてもらうので はなく、所沢の学生に頼んでFaxしてもらえば済むのである。 いくら杏林書院が東大本郷のすぐそばにあるとはいっても、 Faxで送るのならば所沢でも手間は同じだ。
いやあ、これは気づかなかった。でも、あと2回。このまま気
づかなかったことにして、今回もこの原稿は山本君に送ること
にしよう。なぜなら、この原稿を毎月送ることで、私と山本君
との間にチャンネルが確立されるからだ。そして、まさに、距
離の概念の縮小する「インターネット」時代には、どの情報を
どのチャンネルを介して誰と取り交わすのかということが、研
究を進める上でますます重要になるからなのである。少なくと
も山本君は、この原稿送付の過程では単なるルータではない。この題材を契機として、
「知」の行方やポストモダニズムについて意見を交わす研究仲
間なのである。その役割は、やっぱり学生にはつとまらないか
らだ。