インターネットというとホームページを思い浮かべる人も多い。 それほど、ホームページが普及してきている。そして、私もそ んなホームページを持っている一人である。
私が大学のサーバーにホームページを開設したのは1995年6月 30日のことであった。学部のUNIXサーバーでホームページの開 設を可能にしたことに伴って開催された「ホームページの作り 方セミナー」に参加して、自分のページを作成したのであった。 じつのところ、私はそれまでNetscapeなどのブラウザを使った ことはなく、したがってホームページなるものを見たこともな かったのだが、自分のページからリンクを貼る方法を最初に教 わって、いろいろなページにアクセスしたものだった。つまり、 最初は「他のページを容易に見るための手段」として自分のペー ジを作成したということになる。
その後、秋に入って、自分(や家族)の写真を入れたり、当時 増えつつあった関連サイトへのリンクを増やしたりしながら、 「ナカムラヨシオ」がどういう人物であるかをそこに記述する ことに努めた。そして、ホームページなるものの意味や役割を ときどき考えながら時を過ごすうちにイメージを固めながら冬 休みを迎えた。時間的にもちょっと余裕ができたので、年末の 10日ほどを「コンピュータ休暇」と勝手に決めて、他の一切を 考えずにコンピュータ環境の整備とホームページの構築に努め た。その時私が構築しようとしたホームページの枠組みは図9.1 のようなものである。
図: 最初の頃の私のホームページの構想。枠で囲んだ項
目だけが実現された。
まず、大きな分類として大学で行っている教育(ゼミ)
と研究を置き、これに並列させて、私自身の予定とプライベー
ト情報を載せようとした。「…ようとした」というのは、実の
ところはこのホームページの枠組みが企画倒れに終わってしまっ
たことを意味している。本当の所は、冬休みの10日(最大14日)
をかけてこのホームページを完成させようとしたのだが、すぐ
に壁にぶつかってしまったのだ。
まず、ゼミのガイドとして「中村ゼミとは」なんていう文書を
入れているうちは順調だった。間近にせまったゼミガイダンス
の資料として利用できるものだったし、その次の「ゼミの予
定」だって、授業計画を載せればすむことだからだ。ところが、
「資料・教材」で止まってしまった。というのは、それらは私
がLaTeXを使いこなす前にパ
ソコンのワープロで作成した文書であったために、それを
LaTeXに変換するために必要な膨大な時間
を費やす覚悟ができずに先送りした。
次に、「研究」のページに移ったのだが、「私の研究分野」で 「運動生理学とは…」と書き始めて、これが私の才能限界を遥 かに上回る無謀な作業であることに気づいた。もちろん、「ス ポーツ科学とは…」も同様である。次項の「研究内容」につい ては比較的には容易だろうが、どう考えても1日では絶対に終 わらないので、これも先送りした。そこで、とりあえず、それ までの論文業績一覧を載せた。しかし、「学会発表など」にい たっては、これまでの(本当の)履歴書・業績一覧にさえまと めてなかったので、その年月や題目を拾い上げるのは容易なこ とではない。したがって、これも先送りとなった。結局、自分 の「本業」として一念発起して作り上げようとした「研究」ペー ジも、ほとんどは「見出し」だけで終わり、その項目をクリッ クしても「Under Construction」としかでないという体たらく であった。「本業」がそうであるからその他の項は取って知る べし。それまでに作成済みの「家族の写真」以外は全く手を付 けられなかった。
もちろん、他に何もせずに10日間もこれだけのために費やした
あげくにみんな先送りというのは情けない話だが、その間に得
たものはLaTeXの文書をホームページ用のHTML形式に変換する
ためのツール(latex2html)をインストールしたことを除くと、以下の事柄である。