さて、1996年10月からの1年間のジョージアでの在外研究を前
にして、いくつかの学会準備や雑事に追われている頃、データ
整理も電子メールもスライド作成も、なにもかもにいちいち分
断されている自分に危機感を覚えた。もちろん、一応そつなく
こなせているようにも感じてはいたのだが、「それにしても余
裕が欲しい」という思いが募った。どういうことが私の時間を
奪っているのかといえば、例えば、朝事務所から取ってきた郵
便物を開封しようとしたら手紙開封器が書類のどこかに埋もれ
てしまったようで見つからない、しばらく探して時間の無駄と
あきらめて筆箱からはさみをとりだそうとしたら、煩雑なコン
ピュータのケーブルにひっかかってしまって筆箱がひっくり返
り片づけに手間取る。ようやく開封して中身を処理していると、
記入書類をファクスで送付する必要が生じ、緊急と言うわけで
はないものの、そのまま机上に放置すると忘れてしまうと思い、
3分ほど歩いて事務所まで行き4分ほどかけて送信。戻ってき
てその書類をファイルに綴じ、電子メールを開きながらふと時
計を見ると、出校してからかれこれ1時間。「なんなんだ、こ
れは!」、「いったい、この散らかった書類やケーブルを何と
かできないのか」と、叫びたい気持ちになってしまうのである
。
まあ、郵便物の開封はどうしようもないとして、実験室のデー タをフロッピーに入れて持ってきて、Macのファイルが98で読 めないから2DDのディスクをIBMフォーマットしてそこにコピー するとか、その散らかったフロッピーのどれにはいっているか がわからなくなって一枚一枚調べてみるとか、どう考えても構 築されたコンピュータ環境の不備が私を忙殺しているのだ。学 生からの電子メールでの質問に、「ホームページのここを見て」 とだけ答えられれば最高なのだが、そういう環境にないので、 別のパソコンのハードディスクのファイルを開いて、(カット &ペーストができないので)画面を見ながらその文書を再入力 して返事を書くなんてことは、どう考えてもわずらわしいのだ。 自分のやってきたことが全て共通のフォーマットでホームペー ジ上に公開されていれば、私自身が参照する場合でも便 利だし、私が自分を表現(発表も執筆も質問への回答もすべて を含む)する上で 無理・無駄がない。だから、私にとっ て、ホームページをうまく利用することが必要となったのであ る。