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インターネット時代の科学

この連載が始まって一年が経過した。その間私は、インターネッ トが普及してあらゆる情報の処理形態が革新され、あらゆる人々 がその便宜にあずかるこれからの社会を「インターネット時代」 と位置づけた上で、私たちの行う科学研究がどのように変わっ ていくのかということを、個別の事例に基づいて解説を試みた。 その中で私が主張しようとしたことは次の事柄である。

  1. コンピュータが普及しだれもが簡単に使えるようになっ て、研究の環境は格段に進歩した。それとともに、研究者が机 上のコンピュータに対峙する時間が長くなり、ほとんどの時間 をコンピュータに向かって過ごす研究者も徐々に増えてきてい る。
  2. それは、コンピュータ(あるいは、ネットワークに接続 されたコンピュータ)への依存度を高め、(私のように)それ なしでは研究できないような状況に陥いる人々を生み出す。
  3. 電子メール交信件数が増大すると、それに割く時間(所 要時間)が増大するが、同時に一件あたりの処理時間が少なく なる。すなわち、一つ一つのメールに対しては熟慮を払わない (払えない)ようになっていく。
  4. この20年間で、科学論文の刊行件数は増大しているが、 それとともに論文一件あたりの引用文献数とページ数が増えて きた。おそらくこれは、コピー機とワープロの普及によるもの である。 一方、電子文献検索の普及に伴って一人の研究者の 取得文献数が増えるとともに一件あたりを読了するために費や す時間は逆に減少している。つまり、論文執筆時にはたくさん の論議を尽くすものの、読み手の側ではそれを熟読するだけの 時間的余裕が減少しつつあると考えられる。
  5. 便利なワープロを使いこなすと、論文の 執筆にかかる苦労はだんだんと少なくなっていく。だから、そ の技能の有無で、論文執筆能力に差が付く。それだけでなく、 例えば「科研費マクロ」などを使えば、その申請書作成は圧倒 的に楽になり、同じ時間でたくさんの申請書を作成することが できる。しかし、みんながそれを利用するようになって、日本 全体での研究費申請書の総量が増えたとしても、それだけで配 分総額が増えるわけではない。だから、皆が簡単に申請できる ようになればその分だけ、一人一人は配分を受け難くなる。ま た、その「容易さ」は書面作成事務に関してのことで、研究内 容の企画が容易になるわけではない。
  6. 実験や調査に限らず、データ処理の環境はますます便利 になってきている。しかし、便利になるのは「標準化」され得 るデータの場合で、特殊な処理を必要とする作業はコンピュー タには不向きである。ところが、その「特殊性」こそが実は研 究の独自性を支えるのであって、標準化された手順に従って工 場生産物のように作成される研究には、独自性の高い研究が少 ない。そして、じつのところ、「インターネット」は我々に ある種の「標準化」を要求している。
  7. ホームページは科学研究の情報発信の媒体として極めて 魅力的である。しかし、このホームページによる情報開示は、 既存の「学術雑誌」という媒体と対立する。つまり、この両者 は、「学会発表/論文刊行」のように「早/遅」、「一部/完 全」、「ローカル/グローバル」というように機能的に住み分 けて両立するものではなく、科学者には「あちらを取るか、こ ちらを取るか」という択一の選択が迫られるgif
  8. ホームページによって公表された論文(および全ての文 書)は、書き手の文脈で(すなわち、書き手のホームページの トップから順を追って)読まれることはほとんどなく、ほとん どの場合、読み手の文脈上のキーワードで検索された上で、そ れに結びつけられて読まれると想定される。もちろんこれは、 一般の刊行論文についても同様なのであり、電子文献検索の普 及に伴って「拾い読み」される可能性が高くなってはいるが、 ホームページ上で公開された文書についてはもっと極端なので ある。つまり、あたかも「雑誌の中での個々の論文の配列順序」 が読者に問われないのと同様、「文書の中の文字やデータの配 列順序」が著者の意図とは無関係に切り取られる場合が多くな る。
  9. ただ単に研究の道具としてコンピュータを「利用」して いる状態と、インターネットの世界へわが身を「献身」する状 態とは、全く異質の状態であるが、現在の科学研究がコンピュー タをそして今後はインターネットを無くしては成立しない状況 (すなわちそれに「依存」した状況)においては、その両者は 単に幅広いスペクトルの両極端を示しているに過ぎない。すな わち、過去においては単に「道具」であったコンピュータは、 徐々に生け贄を求める「精霊」gif へと変貌する。と、いうのは言い過ぎにしても、前者から後者 へのスペクトルのシフトは、インターネット時代の科学研究に 科される宿命であろう。

といっても、これら全てをそれぞれの章で明記してきたわけで はない。実際のところ、毎月毎月書きながらも自分の未熟さゆ えに書き切れなかったことを、今、こうして振り返ってみて確 認しているのである。そして、(本意は遂げられなかったけれ ど、)これらのことをそこはかとなく読者に伝えられるような 努力を続けてきたというわけである。

あれっ、と思われる方もいらっしゃるだろうか。文献検索の URLや役に立つメーリングリストや、FTPでの各種ツールの入手 先などの「便利情報」そのものは、私の伝えたかったことでは ないのだろうか?そう、その通り。それは本当の意味では付け 足しなのだ。でも、当然のことながら、たぶんもともと編集子 がこの「連載」に期待した事柄は、いわゆる「インターネット 時代の便利な小道具」といったものが中心だったのではないか と想定されたから、私の知る限りの「情報」を全部出したのだ。 そう。全部出してしまったからには、もう書くことはないのだ。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999