ようやく主張が見えてきた。ここまでの論を読んでくる途中で、
「なんで皮膚の内とか外とかということがインターネットと関
わるのだろうか?」と疑問に思われた方もいるだろう。私自身
も、今回はいったい何を言おうとしているのかと見失いそうに
なったこともある。しかしながらここでようやく話を本流に戻
すことができた。私が主張したいことは、つまり、「インター
ネットは神経である」ということなのだ。考えをまとめるため
に「鉛筆と紙」を用いるのは私の癖なのであるが、場合によっ
てはそれは「キーボードと画面」で代用されることもある。そ
して、この10年間で「原稿用紙」が「ワープロの画面」に置き
換わったという現象は、一人私だけのことがらではなく「社会
現象」といっても良いだろう。コンピュータが単体で机上にあ
るうちは、それはただ単に「紙と鉛筆」を代替するものに留まっ
ていた。しかしそれがネットワークと結ばれて「他のコンピュー
タ」や「データベース」を共有するようになったとき、その
<神経系 > は物理的ケーブルを媒介として世界中に拡散す
る。そして、 < インターネットの世界 > を介して他人(他者)とコミュニケー
ションを行うとき、その両者の < 神経系 > は融合するし、
その神経作用は生理学的身体内部にまで及ぶこととなる。つま
り、これが、 < 皮膚 > という境界を取り払ってみたとき
に < インターネットの世界 > が身体に及ぼす影響の一つ
だと想像できるということなのだ。
もちろん、これは単なる空想に他ならないのであるが、このよ うな空想を妨げるものがあるとしたらそれは何か。それは、我々 がとらわれている生理学的信念である。では、その生理学的信 念を捨てて新たな信念に基づいて身体を観察したとして、何か メリットがあるのだろうか。それが今私の直面している課題な のだ。