さて、この<メディア神経系>はテレパシーを媒介する。
私がインターネットの世界と接触するとき、そのサーフェスは 眼と指先である。対するコンピュータ側のサーフェスはもちろ んディスプレイとキーボード/マウスである。さてここで、私 がマウスを操作してwwwのアダルトサイトに接続したとする。 すると、いきなり現れるその刺激的画面は、私の情感を刺激す る。つまり、体性神経(運動神経)から端を発した指先の操作 が、インターネットの世界を介して私の交感神経を刺激したの である。と、このような事例は格調高い本誌には不釣り合いか も知れないので、もう少しマイルドな事例にしよう。うん、た とえば、電子メールにしよう。何気なく書いたメールのやりと りが、いつのまにか感情的な人格攻撃に発展することが希にあ る。もちろん、そのようになりがちだということは「電子メー ルの基本」として周知されていると思うので、そうそう多発す ることではない。そして、幸か不幸か私にはまだそのような経 験はないのだが、たとえばそういうことがあったとしよう。そ のとき、その電子メールの文書は、確かに相手の交感神経を刺 激したのだろう。そして、それは発信者の「指先=キーボード」 から放出されたのだ。これは「テレパシー」の一例である。
う〜んむ。今一つ説得力に欠けるかも知れないので、もう一つ。
一昨年の秋、私はジョージアでの在外研究を始めたわけである
が、最初の2カ月ほどは寂しく一人暮らしをしていた。遅れて
妻子がやってきたときには、わくわくして空港まで出迎えたの
だが、そのとき我が子に出会ったときの思いをホームページに
掲載した。「大祐がやってきた」と題するわずか5行ばかりの
そのページ
は、別にどうということが書かれているわけではないのだが、
「良く情感が伝わってくる」という賛辞をいただいたこともあ
り、そんなもんかなぁ、と見直してみたところ、当時の状況が
思い浮かんで涙があふれてきてしまった。その出会いの場面や
それを書いた時には涙なんて浮かばなかったのに、それを眼に
したその時になって、涙があふれてきたのだ。これはいったい
どういうことなのだろうか。つまり、私はそのページを見よう
として指先で操作した。インターネットの世界に格納されてい
たその情報は、私の操作でディスプレイを介して眼前に5行の
文書を表示し、それは私の情感を刺激した。ただそれだけのこ
とか?
もしそれが、私の身体(脳神経系)への記憶でしかなく、それ
(その状況)を思い起こそうとしただけならば、これほどまで
に涙腺がゆるむことはなかったろう。つまり、その状況をたっ
た5行に抽出(abstract)した上で、インターネットというメディ
アに記録したがために、それを呼び戻(recall)した際に情感を刺激した
のだ。「それは何もインターネットに特有のことなのではなく
て、日記や小説に感動するのと一緒じゃないの?」と指摘される方も
いるかもしれない。「そう、その通り」。つまり、別に
それが「インターネットの世界」でなくても良い。だから、
wwwのアダルトサイトはヌード写真と同じ効果を持っているし、
郵便手紙のやりとりが中傷合戦に発展してしまうこともあるだ
ろう。
そう。つまり、それは「メディア」なのである。そして、メディ アにはテレパシーを媒介する作用があるということなのだ。ス ライドもメディアだしテレビもメディア。そういえば、昨年末 のポケモン騒ぎも、「画面への放心」というテレパシー共有 の所産なのではないか、と私は考えている。私の息子たちも、 テレビ(ビデオ)が好きで、見入っているときはこちらの言う ことに耳を貸す余裕がなくなる。そう、あたかも、神経伝達物 質の受容体を薬剤でブロックしたときにその神経が麻痺するよ うに、画面に放心する。まさに、言葉どおりに、心を放出して しまっているようなのだ。それをテレパシーと言わず、何と言 うのか?