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20世紀のメディア依存

さて、「ものみなメディア」という観点からこの半世紀を振り 返ってみよう。いったい私たちはどのような「もの」すなわち 「メディア」を獲得してきたのだろうか?思いつくままにあげ てみると、テレビ、冷蔵庫、洗濯機のいわゆる三種の神器。そ して、電話、自家用車、ラジカセ、ビデオ、ウォークマンに新 幹線。さらには、公団住宅、エアコン、スーパーマーケット、 コンビニエンスストア、宅急便、自動販売器、ファミリーレス トラン。カップヌードル、レトルト食品、医療保険に通勤電車。 およそ、思いつく身の回りのもののほとんどは、この50 年の 間に生まれ、そして私たちの生活に必需となった。あらゆるメ ディアが私たちの身体を拡張し、かつまたその感覚の諸比率を 変化させるとき、このような様々なメディアに適応した我々は、 前世紀の人類とは別個の身体を持つようになったと言っても過 言ではない。

1950年代に提唱された「運動不足病」という視座は、こ のような<適応した身体>に対する警告として、今世紀後半に 普及した。その思想においては、<適応した身体>の中の、特 に「筋肉活動の低下」に焦点を当てる。定量的にはその「筋肉 活動」を「エネルギー消費量」という指標に還元することによっ て、その増大をもたらす身体技法(すなわち運動)が好ましい 生命(すなわち健康)をもたすと言う信念を、多くの人々の心 に浸透させたのであった。

ところが、「運動不足病」をもたらした20世紀という時代は、 省力化をもたらした世紀であると共に、様々なマスメディアを 生成させた世紀でもあった。1930年代には、アメリカで新聞が 全国化されるとともに映画のトーキー化が進んだ。また、ラジ オ受信機が現在の様態に定着し、ラジオ放送が普及したのも同 時期のことであった。1960年代には世界中でテレビが普及し、 1980年代からは衛星放送も一般化した。つまり、<省力化>の 世紀は同時に<メディアの世紀>でもあったのである。だから もし、<時代に適応した身体>に対して警鐘を発する必要があ るのだとしたら、「エネルギー消費量」だけに焦点をあてるの では一方的に過ぎると言わざるを得ない。

ところで、<適応した身体>への焦点を「筋肉活動」で はなく「神経系」に当てるならば、ただ単に「不活動」に伴う 運動神経の退化を言うだけでは不十分であろう。なぜなら、今 世紀後半の身体は、確かに整備された交通機関や自働機械によっ て労力の表出(すなわち運動神経の動員)を不要にされただけ ではなく、同時に、テレビや電話といったメディアによって他 人との神経系の接続を余儀なくされているからなのである。以 下このことをもう少し詳しく見てみよう。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999