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神経としてのテレビ

私たちがテレビ番組を見るとき、たいていの場合は自主 的に見ていると思いこんでいて、それを「見させられている」 と思うことは希である。ましてや、たとえ何万人もの見知らぬ 人々と同じ時間に同じ画面に釘付けになっていたとしても、そ れらの人々と「神経がつながっている」と思うことは皆無であ ろう。ところが翌日、友達同士などで「昨日のテレビ」を話題 にすることは結構多い。逆に、「明日の会話」のために、今晩 のテレビに見入ることも少なくない。スポーツ中継やニュース などは特にその傾向が強い。このように、テレビというメディ アは、友人知人間の会話というメディアと相補的に働き、その 神経系の接続を強固にする作用をもっている。

一方、テレビに見入っていると、周りの音声が聞き取り 難くなることも、また、我々がよく経験することであろう。テ レビとの間で視聴覚の神経接続が盛んになると、他の環境(す なわちメディア)との感覚接続が抑圧されるのである。食事中 にテレビを見るという習慣も、この半世紀の間に普及した文化 形態の一つであるが、テレビと視神経との結びつきが強固にな るにつれ、食卓での対面・会話という家族の団らんは希薄にな る。テレビと家人との神経接続が、家族間の会話という神経接 続を浸食してしまうのである。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999