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交通機関への適応

交通機関を含めたあらゆる移動手段の発達は、私たちの「行動 範囲」を拡大した。しかし、同時にそれは「脚の動き」と「行 動」との関連を希薄にした。もし、人類がいかなる移動用具も 持たなかったとしたら、自身の脚(あるいは体肢)を動かさな ければ「行動」することができず、「体肢の筋肉活動」と「行 動」とは不可分の関係におかれる。これは例えば、「視る」こ とが「首の動き」や「毛様体筋の収縮」と不可分であることや、 「しゃべる」ことが「口や声帯の動き」と不可分であることと 同等である。さすれば、移動手段を獲得した人類が自身の脚に よらずに「行動」するということは、あたかも、口や声帯を使 わずに「しゃべる」gifようなものであ り、そのとき体肢は聾唖状態に陥る。あるいは、「行動に関し て盲になる」と言うこともできる。ここで重要なのは、単なる 筋肉の不活動性なのではなく、「筋肉の動きに対する不感性」 あるいは「感覚麻痺」だ。というのは、その「感覚麻痺」は単 に筋肉活動感覚において生起するだけなのではなくて、視覚や 触覚を介した外部環境変化の感知にも当てはまるということだ。 前章(9月号)でも述べたように、交通機関の発達に伴う移動 速度の増大は、外部との意識の接触を困難にする。外部との接 触可能性が少なくなればその分だけ環境に対して盲目になり、 他の環境への感覚比率は低下する。つまり、高速での移動に馴 化することで、私たちは動きの感覚を麻痺させるとともに、眼 と皮膚を媒介とする外部環境の知覚(速度感覚)も麻痺しやす くする。これが高速交通機関への身体の神経系適応なのだ。

ついでに触れておくと、通勤電車というメディアも私た ちの身体に適応を迫る。混雑した電車やバスではほとんどの人 が立っているのだが、そこではただ単なる「立つための体力」 が要求されるのではなくて、できるだけ不快感を生じさせない 乗り方や乗車位置関係の獲得が要求されるのである。同時に、 自分の周囲に張り巡らせる自己の領域を縮小させて、お互いの 神経領域が混じりあわないようにする適応も必要とされる。不 愉快に感じなくなるようなコツを身につけた人は、同時に他の 乗客に対しても不快感を与えないようなポジションを取ること ができるようになるのであり、それは外部との接触感覚の麻痺 という神経系の適応の結果とも言える。その適応の程度を測る 「体力テスト」は、今のところ開発されていないのだ。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999