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電話

電話はとても面白い。先に触れたように、もともと電話 は混信を嫌うメディアであり、意図的に他者の通信を漏らす行 為は「盗聴」という罪悪であると認識されている。だから、他 人の電話声が聞こえてくるのは倫理的にも好まれないという風 潮がある。ところが、電話では「耳」の感覚が強調されるため、 会話している当の本人は他の諸感覚が抑圧され、周囲の状況を 認知できなくなったり、環境から隔離されたような錯覚に陥る ことが多い。つまり、ここでは自分の口と相手の耳、その逆に 相手の口と自分の耳とが、電話線という「神経」で接続され、 その感覚比率が高まるために、その程度に応じて他の感覚比率 が低下するのである。

私たちが電話に対して適応する様は、英語で話をするときに顕 著になる。私たち日本人は「文字」を介して英語を習得するた めに、「読み書き」ができても「聞く話す」が不得意だという 人も多い。私も文書の読解にはさほど不自由を感じていなかっ たのだが、会話、特に電話でのコミュニケーションが苦手だっ た。それでもアメリカに滞在したときには電話での応対は避け られず、最初は冷や汗をかきながら受話器を握ったものである。 それがいつからか、耳からはいる言葉にイメージが付随するよ うになり、(顔を見ない)電話での会話が気にならなくなって きた。つまりこれが「電話への適応」なのだろう。耳からの情 報によってイメージを構成する能力、それを支える<神経系の 感覚比率の調整>が、電話というメディアへの適応の結果であ るといえる。

ところで、我が息子は、ようやくしゃべれるようになっ た段階でアメリカでの生活を送った。「アメリカ、いまヨルだ よ。ニホン、アサ?」と、電話でしゃべるものの、両国の位置 関係もわからないgifばかりか、時間の概念さえ定か ではない。もちろん、文字のリテラシーさえ獲得していない彼 が、絵本を介した「眼の力」を獲得するのと同時期に、電話を 介した「耳によるイメージ構成」のリテラシーを獲得するわけ である。つまり、これが、「耳の人」gifの創生である。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999