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論文講読の必要性と能力

またまた私事で恐縮であるが、私が大学院の修士課程(1981〜 83年)で行った研究は「筋電図と筋力」に関するものであった のだが、修士論文での引用文献数は単行書まで含めて100件弱 だったと記憶している。したがって、当時すでに古くさいこの テーマに関して私が読んだ論文は100件程度だったのではない かと推測できる。なにしろ、「1952年にLipoldが…」などと書 き出す分野であったから、とても全ての論文を把握することな どできなかった。博士課程(1983〜87年)で手がけたテーマは 「最大無酸素パワー」であり、学位論文の引用数はこちらも 100件程度であったと思うが、当時作成していたデータベース の文献番号は400番台まで到達していた。このテーマの論文が それほど広範な雑誌に載らないこともあって、1969年の Margaria以来の研究の流れgifはほぼ全て把握できて いたという自信が、(当時は)あった。

学位取得後(1987〜92年)には、無酸素性作業閾値(AT)に関する 研究に携わったが、その間に収集した呼吸代謝ならびに運動時 過換気に関する文献のデータベース件数は、合わせて700件程 度になった。最初の2,3年は、大海で溺れかねない無指針状況 であったが、それぞれのテーマでの読了論文数が100件を超え たころからは、全体の研究成果の年次推移とそれぞれの主要論 文の位置づけを概ね把握することができるようになり、新たな 論文を読んでも、そこに引用されている文献のほとんどが既知 だったこともあって、論文読解には時間がかからなくなった。 これは、少し遅れて同時に進めていた心拍変動と循環調節に関 する研究(1989〜95年)についても同様で、主要な研究成果の流 れをおさえた後はいとも簡単に論文が講読できるようになり、 今ではその文献データベースの件数は400件程度となっている gif

上記の論文数から概算する限り、大学院生時代の最初の2年の 一月あたりの論文講読数が約4件であったのに対して、博士課 程では約8件、学位取得後は約11件と、年次につれて増大して いることがわかる。もちろん、これは、前述のように一件の論 文を読むのに要する時間が短くなったことによるもので、論文 を読むのに費やす時間自体は少なくなっているのではないかと 感じている。したがって、この講読量の増大は単に、前節で述 べた「年次の論文総数の増大」に起因する「読むべき論文数の 増加」だけによるものではなく、いわば「オトナ」になる過程 での自然増(つまり、読む能力が高まって読める文献数が増え るということ)も含まれるのだが、一方で、1988年からは電子 データベースによる「論文検索」ができるようになって、「取 得する論文」つまり「読むべき論文」が増えたことも事実であ る。

このことを確かめるべく、前回同様私の電子メール仲間にアン ケートを行ったところ(その詳細は次号)、「電子データベー スを利用するようになって、文献検索頻度が増えたか」という 問いに対しては、60%が「増えた」と回答し、「取得文献量」 については「増えた」が40%、「変わらない」が56%であった。 しかしながら、「文献講読時間」については、84%が「変わら ない」と回答している。つまり、「電子データベース検索」に よって取得する文献が増えてくる一方で、その講読に費やす時 間が増えるわけではなく、「ツンドクを増やす」か「一件あた りに費やす時間を減らす」という対処をせざるを得ない現実を うかがい知ることができる。すなわち、「読解時間の短縮」と いう能力の開発が、これからの「文献氾濫時代」を生き抜くた めに要求されているということである。



Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999