「えっつ、何だって。あんたのワープロは印刷できないの?」 といぶかる方もいるかもしれないが、事実なのだ。もし印刷し ても、所沢の研究室に出力されてしまう。「このコンピュータ 時代に、なんてばかげたやり方をしてるの?」とまたまた聞か れそうだが本当なのだ。じつは、こちらのノートパソコンでも LaTeXのファイルのコンパイルや印刷ができるようにと、渡米 直前にWindows用のTeXを購入したのだが、あれこれ試してもう まく(目的に適うように)使えなかったので、あっさりとあき らめてしまった。でも、いったい何で、こんなめんどくさい手 続きを踏んで、他人の手を煩わせてまでして、LaTeXを使うこ とにこだわり続けているのだろうか。いま、よく考えてみると、 私が普通にパソコンを使うユーザーであれば、このノートパソ コンのワープロで原稿を作成し、グラフィックソフトで図表を 作成すれば、それをモデムからFaxで直接日本の杏林書院に送 付すれば済むことである。電話回線で済むものを、無理矢理イ ンターネットを使って、「インターネットは素晴らしい」なん て言っているだけなのではあるまいか。
いやいや、もうちょっと良く考えてみよう。どうして、私がワー
プロを使っていないのかというと、LaTeXが便利だからだ。ど
こが便利かというと、まず第一に、最終的な文書の体裁や整形
を気にすることなく、文書を入力できることだ。「Chapter 1」
と書く替わりに「\chapter{}
」({}内に章の見出し
を入れる。以下同)、「Chapter 2」と書く替わりにも
「\chapter{}
」、というように、「今第何章なのか」
ということを意識しなくても「これは何の章だ」ということさ
え意識できればよい。もちろん、毎月一回しかないものの番号
を調べることは造作もないことであるが、これは以下の全ての
構造に当てはまるのだ。「7.1」、「7.2」、「7.3」と書く替
わりに、すべて「\section{}
」と記せばよいし、
「7.1.1」、「7.1.2」、…と続く場合には
「\subsection{}
」とする。つまり、節が変わって見出
しを付けるときにいちいち、前にスクロールして「今、第何章
何節か」という番号を確認しなくても良いと言うわけだ。その
見出し箇所を選択して、文字サイズや行間の変更をする必要も
ない。図表についても、「それが何番目のものか」ということ
よりも「それが何を意味するものか」を意識できるようにコマ
ンドが設計されている。もちろん、普通のワープロを使う場合
でも、書きながら見出しの番号や文字サイズを調整したりせず
に、最後にまとめて整形するのが普通なのだろうが、LaTeXの
場合は、「最後の整形」に費やす手間がいらない。
第二に、情報の相互参照が自動化されていることである。論文
執筆の際のこのうえない便宜はは参考文献で、なにしろ、本文
を記述しながら引用箇所に「\cite{refkey}
」(refkey
には、例えばnakamura95などの文献キーを入れる)と書きつづ
るだけでよい。後は、コンパイルの際に末尾の文献欄か指定し
たデータベースを参照して、掲載順であれアルファベット順で
あれ自動的に集計して番号を生成してくれるから、論文作成後
に文献欄を作成して、それに合わせて最後に本文の肩に番号を
添付する必要がない。当然のことながら、論議の過程で文献の
変更追加があっても、その修正は自動的になされる。この連載
では引用文献の恩恵を受けてはいないが、いったんLaTeXには
まってしまうと、普通のワープロを使うのがおっくうになって
しまうのである。