衣服が人間の身体にとって必須の存在になった経緯や歴史を私 は知らないが、近代とか中世とかといった歴史の区切りをはる かに超越した、とっても昔のことだったのだろう。だから、50 年前の人類にとっても100年前の人類にとっても、衣服は同じ ように「第二の皮膚」として生命維持に寄与してきたのだろう と推測できる。ところが、20世紀の後半の人類はもっと画期的 な体温調節機構を発明した。それは、冷房ならびに空気環境温 度調節装置(以下、「空調」)であり、冷房は暑熱下での脱衣・ 発汗という調節機序への人類の依存度を低下させたし、空調の 完備した空間に居住する限りは、そのような「体温調節機序」 を使用することがもはや不要になってしまったのである。ベッ ドレストなどの「不活動」が筋・骨格系を萎縮させるという理 論をなぞらえるならば、空調で体温調節機序が不活化すること によって体温調節に関わる神経系が衰退するというような理論 が提唱されても良さそうだと思うのだが、少なくともそれはま だ、生理学の範囲をこえる理論としては普及していないようだ。
ちょっと話が本筋から離れてしまったような気もするが、もう
少し脱線することをお許しいただくと、私が1年間滞在したジョー
ジア州アセンズ市では、内陸性気候とでもいうのか寒暖の差が
激しく、夏には30〜40度の日々が続くのに1月の最低気温はほ
ぼ毎日氷点下という年間の寒暖差に加えて、氷点下の夜に降り
積もった雪も翌日の強い日差しでみんな溶けてしまうという日
内の温度差も大きい。こんなに温度変化が大きいとさぞかし適
応するのが大変かというと、そんなことは全くない。なにしろ、
あらゆる建物のすべての空間で空調が効いていて、大学のビル
などは(通路や吹き抜けを含めた)すべての空間が夏冬昼夜休
日を問わず21℃にコントロールされているのである。
我がアパートでも夏は25℃、冬は20℃にスイッチを設定するだけで、あとは夜でも外出中でも空調を絶や
すことはない。つまり、これがジョージアでの普通の生活なの
だ。そして、さらに話を脱線させる
と、夏のある日に日本から来て我が家を訪問してくれたとある
学生が、暑い日差しの中でも汗をかかない私を見て、「さすが
に中村先生はこの暑さに適応していますね」と言った。上述の
ようなわけだから、私が「暑さ」に適応しているはずがない。
つまり、たった半年程度の「適応」によって、私には発汗調節
機構が作用しないようになってしまったというわけだ。「空調
は神経を蝕む」と感じたことも、ジョージアでの在外研究の成
果であったと言える。
さてさて、忘れないうちに話を本筋に戻しておくと、衣服は
「第二の皮膚」といっても良いほど(生きている)身体にとっ
て不可欠の存在で、体温の維持調節機構の一助となっている。
そして、大切なのは、その「第二の皮膚」は生理学的に定義さ
れる < 皮膚の外側 > にあるということなのだ。図
に示した < 神経系 > の基本モデルでは、
効果器としての筋までしか包含していない。そして暑熱時の応
答として、それが皮膚血管平滑筋(という効果器)に作用する
限りは、このモデルは < 皮膚の内側 > に留まっている。しかし、
暑熱時の応答として体性(運動)神経・骨格筋(という効果器)
が作用し、「汗を拭う」/「衣服を脱ぐ」という行為を発現さ
せたとしたら、その体温調節機構は < 皮膚の外側 > に飛び出し、
「第二の皮膚」にまで制御の手を伸ばしているのだと言えるだ
ろう。この両者を合わせて体温調節機構を想定すると図
のようにモデル化できるだろう。
図: 体温調節機構の仮想モデル