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さて、このように考えてくる中で、以下のような留意点が浮かび上がってきた。
- 単なるソフトの使い方やマニュアル的記述は避けるべき
である。
今後すべてのコンピュータソフトは、単なる電子
機器の付属品としての意味しか持たなくなるであろう。つま
り、高機能ビデオ装置や電話・ファクス装置のような通信情
報処理装置として普及していくはずである。そこで重要とな
るのは、「取り扱い説明書」を詳しく解説することではなく、
そのような状況を前提として如何に「体育学研究」が進めら
れていくべきかということであろう。
- 「連載」ということを考えると、あまり無理な計画を立
てるべきではない。
もともと「私がアメリカにいって暇だ
ろうから」というのがこの連載のきっかけにもなったわけで、
本来私がこのテーマを研究しているわけではない。したがっ
て、ここで記せることは私が知っていることに限られるし、
この分野の専門家の方から見れば「ばかげた記事」に過ぎな
いかもしれない。しからば、無理をして先端のことを紹介し
ようとつとめるよりは、私が今現在行っている「情報処理」
あるいは「研究」を前提として、私が考えるところの問題と
その解答を記述していく方が良いであろう。たぶん、私にとっ
て「肩がこらない」やり方は読者にとっても受け入れやすい
のではないかと思われる。
- 「情報」という言葉の意味は一義的に定めるべきではな
い。
「情報」が単なる実験・調査のデータで、「処理」が
単なるコンピュータ利用だけだと限定したら、単なる「取り
扱い説明書」としての方法論しか記述できなくなる。私たちにとって必
要なのは、うわべだけの方法論ではないはずだ。今私た
ちが生きているのが「情報化社会」であるならば、その中で
の「体育学研究」がどのように行われるべきかという視点に
まで発展する可能性を残すべきであろう。
- 無意味な「情報提供」の場にはならないようにすべきで
ある。
もともとが余り溢れる情報の中から如何に有効な情
報を取り出すのかというところに当初の問題意識があったわ
けであるから、この記事そのものが「余計な情報」になって
しまっては元も子もない。
そこで、この連載の表題を「インターネット時代のスポーツ科
学」とし、私が関わってきた事例に限定した上で、その情報処
理の現実と私が思い抱いている様々な問題点について、肩のこ
らない文調で記述するとともに、できれば、インターネッ
ト時代のスポーツならびに体育学研究の意味について考えてい
きたいと思っている。
- プロローグ:体育学研究における情報処理
- インターネット時代
- インターネット時代の研究生活
- 電子メール
- 文献検索(1)なぜ検索が必要なのか
- 文献検索(2)図書館とインターネット
- 文書作成
- データ処理環境:標準化の限界
- ホームページ(1)私のやり方
- ホームページ(2)インターネットの入り口
- ホームページ(3)権力抗争
- ホームページ(4)他人の眼差し
- インターネット時代の「からだ」
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Yoshio Nakamura
Mon Dec 27 10:02:29 JST 1999